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モブキャラ教員が花音の「すっぷく」を探究してみた

昔から、「映画を見る」よりも「映画の原作を読む」のが好きだった。
なぜ好きなのか分析をしてみると、映画の約2時間にはおさまらない小さなエピソードが実は沢山あって、それがストーリーを深く読み取らせてくれる伏線になっているからである。原作を読んだ後に映画を見ると「あ…あのストーリーはカットしちゃったんだ…残念…」と思うことがよくあった。(あくまでもこの記事を書いているモブキャラ教員の感想)


最終日プレゼン

3月23日(土)〜3月24日(日)に、マイプロジェクトアワード2023が東京で開催された。本校2年生の栗原花音が岩手県代表として出場し、「高校生特別賞」をいただいた。サポーターの方からは「映画を1本見終わった感じ」というお言葉を頂いた。来場者の大人は彼女のプレゼンを聞きながら涙を流していた。しかし、実は私は知っている。誰も知らない、彼女の探究活動の裏に隠された奇跡のような原作を。全く主人公ではない「モブキャラ教員」である私が見てきたその奇跡を是非伝えたいと思い、noteを書く権利を学校からもぎ取って筆を進めている。

彼女のプロジェクトは「すっぷくを広めたい‼第2弾」という大槌の郷土料理に着目したものだった。はま留学生として埼玉から大槌にやってきた彼女が、郷土料理を通して人とつながり、すっぷくを通して自分という存在の居場所を見つけていくというプレゼンだった。

昨年の秋、彼女の伴走をしていた私ともう一人の教員は、ある悩みにぶち当たっていた。「活動するためのお金がない」。すっぷくを広めるためにキッチンカーを活用してお振る舞いをしたいという彼女の希望を叶えることはどうしても難しかった。しかし、彼女の発表でも紹介されていたが、安渡町内会の会長が「公民館でイベントやっていいよ」という一言を彼女にかけてくれたのだ。イベント当日は私も手伝いに行ったのだが、どうしても気になることがあった。なぜ町内会長が彼女に協力して「すっぷく」のイベントを開催してくれたのか。材料費も場所も、すべて町内会が用意してくれた。100食以上の提供を予定していたので、材料費も高額である。なぜなのか。
私はその疑問を解決するためにこっそりと町内会の人に聞いてみた。そうするとこんな答えが返ってきた。

「かのんちゃん、1年生の時からいつもボランティアで町内会の活動を手伝ってくれたのよ。お祭りでもそう。売り上げだって前の年よりもたくさん出たの。町内会のみんながかのんちゃんのお陰だねって話をしていたところに、この話を聞いて。かのんちゃんに恩返しするならここしかない!と思ってイベントを計画したのよ。」

いろんな場所で活動する彼女

この答えを聞いたときにハッとしてジーンときてしまった。彼女が自主的にボランティアに活動する姿を地域の人たちがずっと見てくれていて、彼女の困難を乗り越えさせてくれたのである。「キッチンカーは出せないけれど、届けに行けば良いよ!」と言ってくれた町内会長は、自らハンドルを握って、彼女と一緒にすっぷくの配達をしてくれたのだ。

彼女のおふるまいを手伝う大槌高校生たち
手伝う他の高校生たちもだんだん慣れた手つきに

その後、お振る舞いが大盛況のうちに終わって、町内会のお母さんたちとお茶っ子タイム。恥を忍んでもう一つの疑問をぶつけてみた。「すっぷくって何ですか?」すると、お母さんたちからはこんな答えが返ってきた。

「すっぷくってね、精進料理でお通夜の席で食べるものなのよ。私も嫁に来たときに初めて食べさせてもらったんだけど、こんなに美味いものがあるんだって通夜の席なのに感動しちゃってね(笑)でも、震災後にはあまり食べられなくなったね。もう自分の家でお通夜やらないもんね。そういう大きな座敷も今の家にはないし。私自身、もう何年も作ってないから久々に作って楽しかったわ。昔はよく姑さんに怒られたものよ(笑)」

この話には大きな意味がある。震災前には、恐らく座敷を持つ家がたくさんあったのだろう。私の実家も座敷があり、祖父母の通夜を行った記憶がある。昔の家というものはそうだったのかもしれない。死者は家に帰ってきて、そして家族や近所の親しい人たちと過ごして送られる。しかし、震災によってコミュニティが強制的に破壊され、家の形も変わってしまった。故人の思い出を共有できる場がなくなってしまい、すっぷくも食べられなくなったのだろう。しかし、すっぷくを食べながら昔に思いをはせるお母さんたちは輝いて見えた。昔の人を思い出して楽しそうに笑う姿、過去の家庭内事件をおもしろおかしく説明してくれる姿。すっぷくを通して現実世界の人だけではなく、この土地で生きていた過去の人ともつながる力を感じた。生と死の境目に存在し続けたすっぷくの力による「供養」の形がそこにあった。


今年の1月、イベントを後押ししてくれた安渡町内会からすっぷくを新年会で出さないかという依頼が彼女のもとに来た。発表でもこのエピソードはあった。しかし、聞いている人は気付いただろうか。この言葉の違和感に。なぜ「通夜」で食べるすっぷくを「新年会」で出すのか。

ここからはモブキャラ教員の想像でしかないのだが、彼女が広めようと頑張ってきた郷土料理「すっぷく」が彼女の成長とともに進化したのだろう。通夜のしめっぽいイメージだった郷土料理が、頑張って前を向いて歩くイメージに変わったのではないだろうか。誰かと繋がりたい・繋げたいという思いが何十年と定着し続けたすっぷくのイメージを変容させ、新たな価値を与えたのではないだろうか。

そして、東京で行われたプレゼン当日。さらに奇跡的な出会いは続く。彼女の最終発表の後、カタリバ職員の方が私に話しかけてくれた。
「5〜6年前に大槌で働いていたことがありました。そのときにテエ子さんにお振る舞いをしてもらったんですよ。あの時は普通に歓迎してくれているんだと思っていたけれど、そのテエ子さんの想いが今日初めて分かりました。そういう想いを持って、私達を迎えてくれていたんですね。今日このプレゼンが聞けためぐり合わせは本当に奇跡です。」
この言葉には私も泣いてしまった。亡くなった人の、あの日の優しさに気付ける奇跡。もう会うこともできないし、あの日のことを聞くこともできない。でも、そういう想いは人の心で生き続けるのだということを、彼女のマイプロを通して知ることができた。彼女のマイプロの発表時間はたった10分である。しかし、映画の原作のように、もっともっと深いエピソードがたくさんあった。

彼女の発表は、会場で話題に出たとおり「自己承認欲求」を求める旅だったかもしれない。そういうマイプロがあっても良いんだというメッセージにもなったに違いない。だが、決してそれだけではないということを私は知っている。彼女の活動によって長年培われてきた文化的価値、人々の繋がりに大きな変化が生まれたのだ。会場の大人達が涙を流したのは、そういう意義を、本能的に感じていたからだろう。

大槌高校の最終発表会の様子。たくさんの町民の方が聞きにきてくれました。

彼女に感化され、モブキャラ教員の私にも野望が生まれた。彼女の作ったすっぷくカップ麺を、大槌から離れて暮らしている人に届けることである。故郷を離れ、別の土地で暮らしている大槌人は、彼女のすっぷくをどうとらえてくれるだろうか。彼女が生きている今の大槌をどうとらえてくれるだろうか。もう帰ることのできない過去と今を繋いでくれるすっぷくの力を信じて、彼女の活動を応援するというモブキャラ教員だからこそできる私自身の探究活動を続けて、すっぷくの原作を探していきたい。




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